カメラの世界的な開発者だった米谷美久氏のご冥福をお祈りします。

<Wikipedia:米谷 美久>


オリンパスの元常務取締役で、「オリンパス・ペン」開発者だった米谷美久氏が7月30日のお昼にお亡くなりになりました。
長らく闘病生活を続けていたのですが、ついに力尽き、御永眠されました。


昨日今日で、お通夜・告別式があり、参列してまいりました。非常に大勢の方がお見えになられて、改めて偉大さがわかったこの2日間でした。


実は米谷は僕の祖母の妹の夫という4親等の親戚になります。長らく東京に住んでいたために、親戚の集いなどでも何度もご一緒させていただきました。


印象として残っているのは、やはり小さい時に家に遊びに行った時ですね。僕がまだ小3か小4の時に、3つ下の妹と兄弟2人だけで、電車にのって家に遊びに行きました。
当時区立小学校に通っていたし、子供たちだけで電車に乗る習慣がなかったのと、まだ幼い妹を連れていかなければならない!ということでものすごい大変だった覚えがあります。


そんなちび2人を歓迎してくれて、サンリオピューロランドにつれてってもらって一緒に遊んでもらいました!旅行という冒険もあり、テーマパークでも遊べ、いろいろと可愛がってくれたあの旅行は凄く楽しかった思い出でした♪


性格もすごく暖かい人で、1人娘を大変可愛がって、まだ小4と小1のお孫さんを非常に可愛がってらした、素晴らしいおじいちゃんでした。常に笑顔だったし、物静かなのもあり、ホッとする空間を醸し出していたような気がします。


残念ながら僕はカメラのことは詳しくなかったので、カメラに関するお話はほとんどすることはありませんでした。でもカメラの開発の秘話だったり、世界的に大ヒットした商品を開発し続けたという発想力やビジネス力は学ぶことがたくさんあったはず。社会人になってから、もっとビジネスの苦労話や諸々のお話を聞けばよかった、と今更ながら悔いています(--)。


アメリカを中心に、世界中に支部を置いている、カメラ業界の国際団体「Photo Marketing Association International」に、1992年に殿堂入りされました。国際団体の殿堂入り、って本当にすごいことだと思います。


仕事をする上でも、成功の裏にはいろいろと辛いことがあったと思います。最後の闘病生活も辛かったと思います。ただ仕事でも成功し、そしてなにより、多くの家族・親族・友人に囲まれ、愛されていた、幸せな人生だったと思います。



納棺の儀の時に、美久さんに声をかけていた喪主である叔母さん(祖母の妹)の言葉が、一番グッときました!将来、最期の時にこんな言葉を言われるくらい、愛し愛される人生を送りたいと思いました。

「私は、素晴らしい幸せな人生を過ごすことができました。ありがとう。でも、結婚して40年一緒にいたけど、もっと一緒にいたかった・・・」


ご冥福をお祈りいたします。合掌。